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食品

■ Coca Cola BOTTLERS JAPAN INC.
/ コカ・コーラ ボトラーズジャパン株式会社 ■
コカ・コーラ 「コカ・コーラ」は、大正時代にはすでに日本でも販売されていました。 とは言っても、庶民にとって「コカ・コーラ」はまだまだ贅沢品でした。その後、一旦姿を消し、再び日本に登場するのは戦後に入ってからのことです。

終戦からひと月が経ったころ、世界各地で「コカ・コーラ」ビジネスを展開していた、ザ コカ・コーラ エクスポート コーポレーションの代表者が来日します。 ザ コカ・コーラ エクスポート コーポレーションは驚くべきスピードで開業準備を進め、1945年(昭和20年)10月には、横浜に日本支社が発足しました。

そして1946年(昭和21年)から52年(昭和27年)にかけてのわずか7年のうちに、国内6ヵ所にボトリング工場が次々と設置され、「コカ・コーラ」が日本国内で生産できるようになります。 国内生産された「コカ・コーラ」は、進駐軍(第二次世界大戦後、日本に進駐した連合国軍)関係者に提供されていました。とは言っても、これは一般の日本人はあまり知らないことです。

総合食品卸問屋の小網商店代表・高梨仁三郎は、ある日、知人宅で開かれていたパーティーで、彼の人生を大きく変える清涼飲料と出会います。「コカ・コーラ」です。

一口目はその独特な味わいに違和感を覚えたものの、二口目からはこれまで味わったことのない未知のおいしさにどんどん惹かれていきました。

しかし、その出会いの後は「コカ・コーラ」を飲む機会はなく、高梨はその存在を忘れかけていました。そんな1947年(昭和22年)の暮れ、ひょんなことから高梨は「コカ・コーラ」の国内清涼飲料市場での有望性を耳にします。その瞬間、あの衝撃的な味の記憶がいっきに蘇ったのです。

「『コカ・コーラ』は近い将来、必ずや国内の清涼飲料市場を席捲するにちがいない!」と高梨は考えました。

まず、高梨は芝浦にあった「コカ・コーラ」の製造工場の所有権を手に入れ、その上で、1952年(昭和27年)10月末に渡米します。そして、ザ コカ・コーラ エクスポート コーポレーションの担当者の紹介によりザ コカ・コーラ カンパニーの社長、副社長と直々に会談し、ついには東京での「コカ・コーラ」の販売権を手に入れました。

1956年11月10日、小網商店は東京飲料株式会社(現:コカ・コーライーストジャパン株式会社)を設立。翌年3月にはザ コカ・コーラ カンパニーおよびザ コカ・コーラ エクスポート コーポレーションと正式に契約を締結しました。

これにより、日本におけるボトリング会社第1号が誕生、6月には、現在の日本コカ・コーラ株式会社の母体となる日本飲料工業株式会社も設立されました。こうして、現在の日本のコカ・コーラシステムの原型となる体制ができあがったのです。

世界各国で展開されているコカ・コーラ社のビジネスは、現地で生産を行うこと=現地主義を採用しています。それはもちろん、日本でも同じこと。

日本では、1949年(昭和24年)に徳永硝子(*現存しない会社です)が初めて「コカ・コーラ」ボトルの製造を認可されています。その後、他のいくつかのガラス会社も同様の認可を受け、生産に乗り出しました。

そして、1967年(昭和42年)には、日本の各家庭でもっとも多く飲まれる清涼飲料の座を獲得したのです。

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