商号 | くりや株式会社 |
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創業 | 明治15年 |
創立 | 昭和55年 |
資本金 | 2,000万円 |
代表者 | 徳永 真悟 |
社員数 | 26名 |
事業内容 | 米穀小売・卸売業 |
住所 | 〒769-2402 香川県さぬき市津田町鶴羽778-26 |
TEL | 0879-49-3388 |
FAX | 0879-49-0300 |
取引銀行 | 百十四銀行/ 三本松支店 伊予銀行/ 高松支店 四国銀行/高松支店 日本政策金融公庫/高松支店 |
私は飲食業界からご縁があってこの業界に入りました。
お米を買う立場からある日突然販売する立場になった訳です。
それまで何気に食べていたお米が、実際にコメ業界に携わるようになり、勉強していくと、非常に奥深く、やりがいのある仕事だと実感しました。
お米の歴史に始まり、産地品種の育種から、精米加工、ブレンドノウハウ、炊飯方法やそのポイントなど。日本人には切っても切れない存在であること。特に哲学を持った生産農家さんの丹精込めてつくった素晴らしいお米と出会った時の感動は、米屋で良かったと感じる瞬間です。
そうした生産現場で感じた感動をお米と一緒にお届けし『美味しかったよ、ありがとう!』といってもらえること。 それが私たちが存在する意味と価値です。
弊社は真面目で一生懸命仕事に取り組む若い社員が大勢います。 未熟な点も多々ございますが「お米が好き」、「お客様から必要とされたい」、「お客様の喜ぶ顔が見たい」という思いを社員全員が持っています。
私たちなりの「お米の魅力」常に探究し、そして伝えてくことで、この社会に必要とされる米屋であり続けたいと思います。
1620年頃 (江戸初期) |
武士たちは大阪・江戸の中央市場へ御城米(おしろまい)と称する米を送って藩を経営しており全国的に海運が発達。三本松港から塩を積出し、秋田・庄内で御城米を買荷として下関・浜田などでうりさばく。(三本松→江戸直航の所要日数最短10日、最長29日) |
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1700年頃 (江戸中期) |
大川郡一帯は砂糖造りが盛んで三本松の港は大阪に向けて最高級の白砂糖、三盆白(さんぼんじろ)の積出しで全国の65%にまで及び高松藩は巨万の財産を蓄える。 |
1832年 (天保2年) |
初代橋本吉兵衛(はしもときちべえ/1832年生)は父、直七(なおしち)と共に回船業を営み、米・砂糖・塩を買い付け、大阪に向けて売りさばく。 |
1877年 (明治10年) |
明治初期に台湾から砂糖が輸入開始。 明治維新の廃藩置県により高松藩からの砂糖業に対する融資と保護統制が撤廃され砂糖造りは衰退する。明治政府による北海道開発開始。 |
1880年 (明治13年) |
千石船(せんごくぶね)と呼ばれる当時としては最大級の貨物和船「多福丸」(おたふくまる)就航。(北海道に稼ぎ場所を求め、三本松村発展の望みを託し、村長・白井尹益(いんえき)が発起人となり、先祖である橋本吉兵衛など地域の人が出資しあう) |
第一期創業期 | 1882年 (明治15年) |
小樽沖で大吹雪にあい「多福丸」沈没。他の出資者ともども無一文となるが、それまでの海運依存の気風から一変しコメ小売業として「栗屋」を創業する。 |
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1911年 (明治44年) |
2代目となる吉兵衛の二女(タヨ/1868年生)夫婦により、細々ながらも米小売業を続ける。(大川郡三本松町354番地) | |
1921年 (大正10年) |
3代目となるタヨの子、助太郎(すけたろう/1897年生)夫婦に引き継ぐ。 | |
1939年 (昭和14年) |
米穀配給統制法制定。 西日本、朝鮮の干ばつにより食料需給ひっ迫。(第二次世界大戦開始) |
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1942年 (昭和17年) |
主要食料管理法(食管法)制定。 | |
1951年 (昭和26年) |
県の登録店「橋本商店」として再出発。 食料配給公団を廃止。民営業者による米穀配給制度発足。 |
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1955年 (昭和30年) |
希望配給制度が取り入れられる。 | |
1965年 (昭和40年) |
4代目となる助太郎の子、正治(まさはる/1932年生)が引き継ぐ |
第二期創業期 | 1973年 (昭和48年) |
創業時の屋号「くりや」米穀店として現在地に営業所を移す。 |
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1978年 (昭和53年) |
商圏が香川、徳島、愛媛に拡大する。 (外食・中食産業チェーン店が店舗を拡大) |
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1980年 (昭和55年) |
組織を変更し、「?くりや米穀」とする。 | |
1982年 (昭和57年) |
食料管理法大幅改正 コメ小売業が登録制から許可制に。 |
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1992年 (平成4年) |
くりや米穀第一倉庫を新設。(収容量600トン) | |
1994年 (平成6年) |
千代田産業?を大阪に設立。 平成5年産米大凶作により、平成コメ騒動。米価の極端な高騰。 |
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1995年 (平成7年) |
?千代田システム物流を設立。商圏が香川、徳島、愛媛、高知と拡大する。 (食料管理法の廃止。新食糧法の制定) |
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1996年 (平成8年) |
商圏が四国一円・中国地方の一部へと拡大する。 | |
1997年 (平成9年) |
5代目となる正治の妻、幸子(さちこ/1940年生)が引き継ぐ。 社名を「?くりや米穀」から「くりや?」に変更する。 (小売部門)香川県米穀卸売業者として登録される。 |
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1998年 (平成10年) |
「?千代田システム物流」から「?くりや米穀」(卸部門)の名で再登録する。 | |
1999年 (平成11年) |
くりや新工場竣工。?くりや米穀(卸部門)が徳島県、愛媛県、高知県の卸売業者として登録される。 | |
2000年 (平成12年) |
千代田産業?を兵庫に移転。 |
第三期創業期 | 2002年 (平成14年) |
創業120周年を迎える。 【社会に必要とされる会社】を目指し新たな出発。 |
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2003年 (平成15年) |
委託給食分野拡大(四国内営業強化) | |
2005年 (平成17年) |
インターネット通信販売開始(全国販売) | |
2007年 (平成19年) |
E−セールスを導入 量販店の絞込みを行う |
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2008年 (平成20年) |
玄米精選ラインの増設 | |
2009年 (平成21年) |
エアー搬送システムを導入 | |
2010年 (平成22年) |
業務用炊飯セミナーを開始 | |
2011年 (平成23年) |
新規事業開始 在庫管理システムの導入 小ロット、小袋生産ライン新設 |
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2012年 (平成24年) |
創業130周年を迎える Smart Riceの商品開発 ギフト・ノベルティ市場への参入 |
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2013年 (平成25年) |
オコメールの開発・商品登録 | |
2014年 (平成26年) |
新工場・新本社を建設 (さぬき市津田町に移転) |
ひとを結び、明日を創る
くりやの創業者吉兵衛は米屋を始める前に父、直七と共に回船業を営んでおりました。
千石船と呼ばれる最大級の貨物和船を地域の人たちと共に出資し、その商売を拡げてきました。
讃岐三白(砂糖・塩・米)を大阪を中心に全国に運び、その帰り荷は地域の特産品を積み各地で販売してきました。
そんな商いの形は、人とのご縁を結び、つないでいくことで成り立っていました。
商売が順調に進んでいたおり小樽沖で大吹雪にあい、船は沈没。
他の出資者とともども吉兵衛は無一文になります。
しかしそんな逆境の中、吉兵衛は海運依存から一変し、米屋として「栗屋」を創業しました。
くりやの創業の精神は、初代吉兵衛のひとを結び、
つないでいく回船業時代からの考え方。
そして自らが未来を切り開いていくその開拓者魂にあります。
【自然の恵みに感謝とは】
長年契約している生産者さんの言葉に『私たち農家の仕事は、土づくりをすること。
あとは自然の恵みに任せるのみ。例え収穫量が少なく出来が悪い時でも、これだけの恵みがあったと感謝する』という言葉を聴きました。
工業製品ではないお米という自然の恵みを商品として商いをさせて頂いているという
感謝の気持ちを忘れないために経営理念の冒頭に「自然の恵みに感謝し」と入れております。
【お米の魅力とは】
お米は一年一作。どんな名人も一生にチャレンジできるのは60回程度。
自然の恵みを受けて育つお米はそれだけ貴重な存在であり、日本人にとって無くてはならないものです。
そしておいしいごはんは人を笑顔にします。おいしいごはんの前では人は素直で優しい気持ちになります。
お米には人と人とを結び、かかわる人たちの気持ちを豊かにする不思議な魅力があります。
そんな「お米の魅力」を伝えていくことが私たち「くりや」の仕事です。
【どんな米屋になりたいのか】
お客様からは「やっぱり“くりや”のお米でないといかんわ。いつもおいしく食べてるよ、ありがとう!」
生産者さんからは「”くりや”が販売してくれるから安心してお米づくりに専念できるし、作り甲斐があるわ!ありがとう」
協力会社さんからは「”くりや”があるから私たちの仕事ができています。ありがとう」
そして働く仲間から「”くりや”があるお陰で安心して生活が送れている。やり甲斐や自己成長を感じられる」と言われるようなそんな米屋でありたいというのが私の願いです。
くりやは創業明治15年以来100年以上、お米一筋に取り組んできました。お米に関することならすべてお答えできる知識、ノウハウ、技術を生かし、一般家庭をはじめ、大手外食チェーン、量販店、学校給食、病院給食、企業給食などへ販売しています。現在、取り扱い量は1日約15トン、年間にしておよそ5,000トン。これらを四国全域に、必要な時に必要な量だけ、的確なデリバリーによりお届けしています。
私たちが、お米を販売する上で最も気を配っているのが、常に安定した品質と量を確実にお届けする事です。そのために、年間を通して常に一定したお米を販売できる体制を整えています。この業界には従来よりメーカーというものが存在しませんが、くりやは独自の商品を提案していくことにより、メーカーへと一歩一歩近づいていきたいと考えています。
今、求められている商品をどう提案していくか。この課題に対して、私たちは、コンピュータによる効率化はもとより、社員ひとりひとりを徹底したお米のプロに育て上げていくことに力を注いでいます。お客様に心から満足していただける対応を目指し、少数精鋭で、しかも人間味豊かな社員を育てる企業として成長していきたいと願っています。
主原料であるお米の産地や銘柄に関する知識、炊飯技術やごはんの栄養学などの幅広い知識を有し、更においしいごはんを見分けられる専門家の資格です。
ご飯の色覚・嗅覚・味覚やその他、官能評価をする上で大切な様々なテストを受け、合格した「舌が研ぎ澄まされた者」のみが与えられる資格です。 酒利きならぬ米利きの資格です!
この資格は、正しい官能試験を習得し、米の適正な評価を行うことができるということ。官能試験のパネル(試食する人の集団)は「計測器」なみの数値を意味します。
米の品質基準の評価において、この官能評価が最も適した評価方法です。
米の幅広い知識、精米加工、保管・品質管理、炊飯の理論、世界的な食糧の現状などを総合的に知識として持っております。
現在全国で約500名程度しか有資格者はおりません。
全国の都道府県のお米屋さんを会員として組織された団体であり、お米に関する専門職経験がある人のみに受験資格がある「お米の博士号」とも言える資格であり
・全国の田んぼから美味しいお米を探すこと
・お米の品質を見極めること
・お米の特長を活かした精米技法やブレンド技術のことなどを通して広く食育を推進する事ができます。
農家から直接原料を仕入れる際に、原料に問題は無いのかを適切に判断できる重要な資格です。
農家や仕入先との交渉の際に間違いのないお米を判別し入荷します。
本会が推奨する精米工場が保有すべき品質システム構築のための要求事項を規定した規格です。
25馬力以上の大型精米機を備えた精米工場を持っている、米穀販売業者、生産者団体、精米機メーカーなど関連企業、商社が主な会員です。
コンプライアンス(法令等の遵守)
精米HACCPは、
食品の安全確保の国際標準である”HACCP”
(Hazard Analysis and Critical Control Point)
手法に基づき、精米工場において、精米の安全を確保し、品質管理、衛生管理、汚染防御管理を行う総合工程管理の取り組みです。
くりや株式会社 〒769-2402 香川県さぬき市津田町鶴羽778-26